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「信じる」は変?(その1) [精神世界・自己制御]

 あるサイトを訪問して、「信じる」について考える機会があった。
そこでは宗教も科学もその根底は「信」であり共通していると語られ
ていたが、私は科学の根本は「疑」であり宗教などとは全く別モノだと
主張した。

 以前「愛」は人類をペテンにかけてきたと書いたが、「信じる」も、
同じくらい人間を混乱や勘違いに落とし入れる言葉だ。

 「愛」と同様に「信じる」ということは、人にとって一番大切なこ
とだと誰もが思っている。
 しかし「信じる」というのはどういう事なのかを考えてみると、
「信じる」とは、すなわち、その対象の事を完全には「知らない」、
「理解していない」ということに他ならない。

 信じるという事は、言ってみれば一種の賭けだ。それを無条件で
尊いとか美しいとかと思い込んでしまうのは、どーなのだろうか?
自分が理解していないモノに賭けるというのは、思慮に欠ける、単
に無謀な行為ではないだろうか?


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コメント 4

Judgement

私もトラックバック張ってみました。今後ともよろしくお願いします。

『信じるという事は、言ってみれば一種の賭けだ。』
そうそう、そう思います。
「信じろ」という人はいわば胴元、賭けさせてそれが当たろうと外れようと儲かる仕組み。
「信じろ」と言ってもいないのに勝手に賭けられると
私なんか、「お前の安易な賭けで儲ける片棒担ぎたくない」って思う。
私やっぱり後向きですかね....

『「知る」社会』、実際にそうなったら嫌だけど、
ここまで徹底した考え方は大好きです。
by Judgement (2008-02-18 22:31) 

zanki

>私もトラックバック張ってみました。今後ともよろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
by zanki (2008-02-18 22:59) 

光明

ブログ訪問ありがとうございます。
そうですね。
人は苦しくなると救われたくて何かを信じる。
それは依存ですよね。
まずは自分を知り、自分を信頼できるかどうかから始まりますよね。
これからもよろしくお願いします。
by 光明 (2009-02-19 05:18) 

zanki

光明さんコメントありがとうございます。
 他人どころか自分すら完璧に把握、理解するのは
不可能なので、どうしても「信じる」が必要な場面は
残ってしまうのはやむを得ないかも知れませんが、
闇雲に「信じる」、「信じて」の乱用は避けなければと。
by zanki (2009-02-19 09:32) 

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