量子力学:世界は変だ:So-net blog
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光子は変? [量子力学]

 光ははじめ「波」だと思われていたが、光電効果という現象により「粒子」
でもあると考えられるようになったという説明が、一般向けの本には多く
みうけられる。そこですぐに気になるのはその大きさだ。アインシュタイン
が光量子と呼んだこの光の粒は、現在光子(フォトン)と呼ばれ、素粒子
の一つとされる。

 しかし、素粒子は電子やクウォークのようにモノを形成する「フェルミ粒
子」と、力を媒介する「ボース粒子(ボソン)」に大別され、光子は後者に
属する。問題なのは、ボース粒子は、その「大きさ」を議論できない代物だ
という事。大きさを議論できないものを粒子と呼ぶのは、一般人には理解
不能だ。粒子と呼ぶのはあくまで計算式の要請によるものなのだろうが
極めて不適切に思える。

境界線探しは変? [量子力学]

 少し前まで、マクロの世界はニュートン力学に支配
され、極小の世界では量子力学に支配され、その境界
線はどこにあるのかが探されてきた。
 以前の記事で巨大分子のバッキーボールでも量子現
象を示す事が確認されたと書いたが、こうした境界線
探しは実はほとんど意味がないことが分かった。
 というのも実はどんなスケールの物体でも、素粒子
同様に根本的には確率的な存在だと判ったからだ。私
たち人間も。
 ただその確率的存在である時間も回数もゼロに近い
くらい小さい為、通常の物体に量子的現象を観測する
ことができないだけということ。

過去記事は変? [量子力学]

 以前の記事( http://zanki.blog.so-net.ne.jp/2008-06-29 )で、
量子力学は、光などについて、「粒子」と「波」という2つの性質に
しか着目してこなかったが、他に着目すべき性質はないのだろう
かと書いた。 しかし、この2つについてだけでよいことが理解で
きた。

 というのも実はこの二つの性質は、

 「実在(粒子)」なのか、「確率的存在(波)」なのか

 という事だったからだ。

素人量子力学=統計学は変?(その2)  [量子力学]

 私はいままで(自分の勉強不足は棚に上げてだが)、統計学は科学
ではないと思っていた。安直に経験的なものの上に構築された、砂上
の楼閣のようなものだと。

 特に正規分布は。

 なぜあんな釣鐘型になるのか?
 なぜそれが全く異なるように見える色々な事象に適用できるのか?

 その理由はわからないまま、ただそうなるから使うという考えに強
い抵抗を感じていた。

 釣鐘型になる、つまりバラつきがあるのは、バラつかせる原因が何
かあるハズだと、アインシュタインなら思うだろう。しかし量子論の
世界では原因など無くともバラつくものだと考える。1つのものが、
なんと「同時に」バラついて存在する。確率をもって分布するのだ。
 一方、正規分布は度数分布図だが、予測に使う場合は確率分布を
示すものである。

 ひょっとして、正規分布が釣鐘型である理由は、量子の世界の確率
分布がなんらかのかたちで反映されたものなのではないだろうか?
つまり、この世の全ての事物は多少の幅、可能性が確率をもって存在
し、多くの場合は即座に可能性が1つに収束して気付かれる事すら出
来ないが、最後まで収束が起こりにくいものだけが、正規分布に合致
すると認識され、統計的手法として重宝されてきたのではないだろう
か?


  かなりデタラメな思いつきで書いてみましたが。

素人量子力学=統計学は変?(その1)  [量子力学]

 粒子の位置がA地点かB地点のどちらかであることが分かっている
場合、従来ならその存在位置はどちらか一方であって、そのどちらに
あるかの予測として、A地点に50%、B地点に50%の確率で存在する
だろうと答えるところだが、量子論では50%の確率でA地点にもB地
点にも同時に存在すると考える。

 このコペンハーゲン学派が確率論を持ち出したことへの反対表明と
してアインシュタインが「神はサイコロを振らない。」と書いたのは
有名だが、このセリフは厳密に考えると誤解を招く。

 アインシュタインは神の存在など信じていない。ここでいう神とは、
大自然の摂理のことを指している。
 またサイコロは、一般人の持つイメージのデタラメ、確率、偶然な
どの意味で用いたものだ。
 しかしアインシュタインはサイコロも振る時の角度、回転、初速、
テーブルの弾性などが厳密に分かっていれば、出る目も正確に計算で
わり出せるという立場だったし、まさにそのことを言いたかったが為
に出たセリフがこれだった。

 残念ながら現在では、間違っていたのはアインシュタインの方だと
考えられている。ということは、この世の根底は確率が支配している
といえるのかも知れない。

素人量子力学=還元主義は変? [量子力学]

 少し前まで科学は、目に見えるマクロなモノやコトをそれを
構成するより小さい要素の性質や法則から理解できるとし、事
実してきた。いわゆる還元主義だ。
 しかし近年、光子や電子が古典物理学では考えられない振る
舞い、量子現象を示す事が明らかとなり、還元主義は完全に行
き詰った。
 
 素粒子の実験などでも、観測対象と観測者は厳密には切り離
すことは出来ないといったことが問題になるなどし、ホーリズ
ム、つまり全てはつながっており完全には部分に分けることは
できないという、あまりにも当たり前過ぎる半ばあきらめの入
った考え方も常識化しつつあった。

 しかし、量子論ではホーリズムが正しいとした上で、量子の
極微サイズでのみ有効と考えられていた性質や法則が、マクロ
な世界でも成り立ち機能すると考える学者が出てきた。

 というのも量子現象が起こるミクロの世界と、起こらないマ
クロの世界の境界線はどこにあるのかという探索の結果、炭素
原子60個からなるバッキーボールのような巨大な単原子分子で
も量子現象を示すことが、知られたからだ。

 量子現象とは無縁と思われていた私たちの日常も気付かない
だけで実は量子の世界の法則に支配されているかも知れない。

 この考えは、「新」、いや「真」還元主義とも呼べるものか
も知れない。

素人量子力学=粒子であり波であるは変?(その4) [量子力学]

 夜空の星を眺めていてふと思った。

 あのシリウスは誰にでも見える。東京のどこからでも…、
いや雲さえなければ夜の地球のほぼ半分のどこからでも。

 誰がどこに立っていても見えるという事は、もし光が粒子
なら、光子は地表に隙間無く降り注いでいる事になる。だと
したらその個数は無限個…でも足りないくらいだから、ちょ
っとありえない。シリウスから地球の距離を考えても、光の
出発時にちょっと角度がズレるだけ地球到達時にはとんでも
ないズレになるはずだし。
 やはり粒子ではなく波と考えた方が妥当なのか?

 ところが量子力学の一般向けの本には真逆の例が説明され
ていた。光のエネルギーを波として計算すると、星の光では
人間の視細胞を興奮させる、つまり「見える」までに数十分
光の照射を受けなければならない事になる。だから光はエネ
ルギーの塊り、つまり粒子だというのである。

 人間の目に到達するまでは波で、到達した瞬間に粒子にな
るとでもいうのだろうか?


素人量子力学=粒子であり波であるは変?(その3) [量子力学]

 それ以前に、粒子というのは「カタチ」であり、波というのは「動き」だ。
それをいっしょくたにして、そもそもカテゴリーエラーなんじゃないの?と
誤解しそうになる説明の本や教科書が多い。

光は媒体を必要としない。波ではないからだ。波の性質の一部を持っている
にすぎない。

素人量子力学=粒子であり波であるは変?(その2) [量子力学]

 粒子であり波であるというのがナンセンスなのは明らかだ。だから、
そういうものだなどと簡単に受け入れてしまう前に、少しはあがいて
みるべきだ。

これは正面から見た時と、側面から見た時に違う形に見えるオブジェ
と同じなのではないか。だとするとこれは視線の変更を可能にするもう
1つの未知の空間か次元があるという事。それは量子力学の波動方程
式が複素関数であることと関係はないのだろうか?

素人量子力学=粒子であり波であるは変?(その1) [量子力学]

 光は粒子と波、相容れない性質を併せ持つと言うが、光が持つ相容れない性
質はこの2つだけとは限らないのではないだろうか?量子力学はこの2つにし
か注目せずに構築されたようだが、他に光の正体を知る手がかりになる性質は
探さなくて良いのだろうか?
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